ツーリングよもやま話 その3
バイクの話や海外・国内ツーリングでの私の体験・経験・珍談のページです。
1.雪の思い出
ある年の2月、2泊3日で四国へのツーリングに行った。
寒さは思ったよりも厳しくなく松山〜高知〜足摺岬と回り宿毛のフェリー乗り場へと
向かう。天候が悪くなり小雨になったが時間的に早かったために欲を出してフェリー
を3時間後の便に変更し予定になかった西海海中公園まで行くことにした。
小雨の中を走り観光し写真を撮って夕刻のフェリーに乗り仮眠をとった。
佐伯港到着のアナウンスに起こされ、あと2時間、雨の中を走らねばならないと思い
ながら合羽を着てバイクに乗りフェリーを降りて市内へ向かったのだが雨の様子が違う?
雨に白いものが混じりミゾレになっていた。20分ほど走ると完全に雪になり道路に
うっすらと積もりはじめ、その内にヘルメットのシールドを上げなければ前方が見えない
状態になりスリップの心配も出てきたので諦めて佐伯市内へ戻りビジネスホテルへ入る。
翌日の午前中に会議があるためにどうしても朝までには帰らなければならないので
ホテルに事情を話してちょっと寝て午前4時の夜行列車に乗りバイクはホテルで預かって
もらうことにした。
早朝3時半、雪の中を歩き駅に行ったが雪のために電車が1時間遅れている。結局は
1時間半の遅れで乗り込んだのだが走り始めて15分後カーブで少し傾いたまま電車が
停車・・・停電・・・しばらくして架線に雪の重みで倒木があり復旧時間が不明とのこと。
暖房が切れ傾いた社内で寒さと空腹に震えながら待つこと5時間、途中JRからパン1個と
缶ジュース1本が差し入れられたが延岡に着いたのは午後1時だった。
携帯のない時だったので会社に連絡はとれず怒られ2日後には定時後の電車に乗って
バイクを取りに行き散々なツーリングになってしまった。
欲を出さず予定通りの時間にフェリーに乗っていれば雪の降る前に帰れたと思ったりしたが
すべて後の祭り・・・・・・良い経験だった。
2.風速7メートルの恐怖
朝早く岡山を出て瀬戸大橋へと向かう。途中の電光表示板には風速7m速度は50キロ
制限の表示がしてある。風速7mなら大したことはないと思いながら走り海上部に出る。
先程までは前方からの風だったのがいきなり横風に変わり車体が大きく揺れる。
これで風速7m?と思いながら走るが横風の強さにハンドルを取られ蛇行しながら体勢を
維持するのが精一杯である。
橋を支えている大きなワイヤー固定部分のコンクリート擁壁の陰に入ると瞬間的に風当たりが
弱くなり次の瞬間には煽られるの繰り返しで後方からの車を気にしながら必死で走る。
50キロ制限となっていても車は100キロ近いスピードで遠慮なく横を追い越して行き
本当に怖い思いをしながらようやく中間点の与島PAにたどり着く。
しばらく休憩をしたが風が弱くなる気配はないし又あの風の中を走らなければならないと
思うと憂鬱になってくる。
意を決して再び走り出したが先程と同じ事の繰り返しであり恐怖に近い感覚でようやく
渡りきった。これ以上の風の中を走った事もあるが長い橋の上という状況もあり
風速が弱くても測定地点と場所が変われば、こんなに違うんだという事がよく分かった。
速度も上げたり下げたりとしてみたがどの速度なら大丈夫かという結論は出なかったが
とにかく怖い、飛ばせない、力み過ぎて疲れるの状態であった。
3.ツーリング中のトラブル
ツーリング中に一番困るトラブルはパンクと故障である。
30数年前、四国の山中でパンクした時は近くに人家はなく普段なら簡単に押せる
バイクが押せない、仕方なくパンクしたまま押したり走ったりでタイヤ一本を取り替え
た上にホイルまで駄目にしたことがあった。
数年前、ツーリング初日、雨の中を例のごとく徹夜で四国からしまなみ街道を渡り
倉敷へメンバー三人で走った。倉敷の観光を終わり走り出して駅前の繁華街を走って
いるときに突然パンパーンという音とともに私のバイクが停止した。
雨の中、道路脇に止め点検したがエンジンは掛からない、原因が分からない、どこが
悪いのか予想がつかない状態だった。
ハーレーのレスキューサービスに入っていたので電話をしたが長く待たされ連絡が
入らない。1時間後に隣県を含め連休でハーレーの代理店、特約店が休んでおり
連絡がつかないとの電話が入る。
レッカーサービスも探しているが見つからないのでしばらく待ってくださいと言われ
連絡が入ったのが1時間後、それも30キロ以上離れた所から来るとの事でバイクを
預けたら修理はハーレーの代理店が休み明けに取りに来て修理し責任を持って
宮崎まで送るので九州まで電車で帰ってくださいとの事だった。
レッカー車が来てその会社まで同乗しあとの二人はバイクでついてきたが車の中で
話をしていたらその人はレッカーの社長さんでバイクに乗っていた時期がありメカにも
詳しい様子だったので会社の車庫に降ろしたら一緒に見ようということになった。
車庫に降ろして一緒に見たが結局は分からない、その間、私は宮崎の代理店に
電話を入れて事情を話したら私がある程度の修理が出来ることを知っていた社長が
考えられる部品を送るので自分で部品を取り替える手もありますよ・・・・・・その後の
やりとりで宅急便で翌日の14時には部品が届くことになった。
二人のメンバーは何時間も待ってもらったが予定通り山陰方面に行ってもらい私の
バイクが動き出せば翌日夜に山口県内で落ち合うことにした。
私は岡山市内に宿泊する事にして電車で岡山に行き翌日の昼まで岡山城や後楽園
などを観光した。翌日、予定通りに数点の部品が届き部品を取り替えながらエンジンを
かけて見るが掛からない。諦めかけたときもしかしたら雨の中の走行だったために電気
回路に水が入ったりで悪いのかもしれないと思い各カプラーを外してテスターで当たると
ともにエアーを吹き付けて水分を弾いた。
エンジン前方下部のカプラーを点検して接続したらエンジンが掛かった!
結果的には一番水の入りやすい所、メーカーも浸水対策をしていた箇所だった。
故障発生から33時間後、ようやく動きだし3時間後にメンバーと合流しツーリングを続け
た。これも今となっては笑い話だが自分のバイクを知ること、日頃の点検、メカについての
勉強、知識の吸収などについて考えさせられ良い経験となった。
4.真夏の故障
古いスポーツスターに乗っていた時の話・・・故障の多いバイクであった。
8月、朝から蒸し暑い中でのクラブツーリング、大分県の鶴見崎を目指してスタートする。
最初の休憩を終えて出発しようとするがエンジンが掛からない。駐車場で4人に押して
もらい押し掛けするが2〜3速では圧縮が強すぎてバイクが動かない。それ以上では
動くがカラカラと音がするだけで押し掛けにならない。
結局は近くの坂道まで押してもらい下り坂で思い切りスピードを上げての坂道発進で
エンジンを掛けることが出来たのだが、これから先が大変だった。
次の休憩ではエンジンを掛けたままだったが炎天下での空冷エンジン、走り出しても
オーバーヒート気味、太腿への熱気・・・信号停車では足を上げなければたまらない
ほどだった。
その後の休憩は出来るだけ坂道の頂上付近にしたが木陰やトイレなど条件の良い
ところがあるはずがなくメンバーは条件の良いところで休憩をしてもらい私だけは常に
ちょっと離れた坂を見つけて、そのたびに坂道発進となった。
海水浴場の外れにあるマリンパークでの休憩の時はメンバーだけは見学に行ってもらい
私だけは2キロ手前のマリンパークや海水浴場が見下ろせる坂道頂上での休憩と
なったが無風で気温30度を超し木陰もない場所での待ち時間は最悪だった。
この時の疲れは記憶にある中で一番、疲れたツーリングだった。
5.まだバイクに乗る??
「えっ、まだバイクに乗っているの?あれだけの大怪我をしながら・・・」と、よく言わる。
九州自動車道走行中の突然のアクシデント、百数十メートルをバイクと一緒に飛んで
転がり警察と道路公団の人からは生きていたのが奇跡に近い、同行者からは死んだと
思ったと言われた事故。
全身打撲、挫傷で最終的にはバイクの欠陥でメーカーから補償してもらった事故
だったが両肘、両膝が完全に曲がるようになったのが半年後だった。
周囲からはバイクをやめるように説得されたが私はその気はなく八ヶ月後には
長距離ツーリングに出発していた。
考えて見たら長いバイク人生の中で仲間や知人の数人が事故を起こしその全員が
バイクは危ない、怖いなどの理由でバイクを降りてしまっている。
私の場合は単純にバイクが好きだからという理由だけではなく事故の半年後、初めて
バイクを走らせたとき、ある瞬間に突然事故時のハンドルが振れ始めた状況が目に
浮かび又、同じ事になるのでは?と考えたら恐怖感でバイクを停止してしまい道路端で
このまま走るか、帰るかなど色々な事を考えた。
最終的にはここで帰れば精神的に負けてしまう、バイクに乗れなくなると考え再び
バイクを走らせた。
その後も精神的には色々と葛藤があったが40年もバイクに乗り続けているのは
バイクが好きだからに違いないのだが私の場合は他の趣味もあり決してバイク命とか
バイク馬鹿ではないと思っている。
体力の続く限りは楽しみたい、バイク乗りの気持ちは乗らない人にはわからない。
6.精神的後遺症のとき
精神的後遺症・・・正式な病名ではなく私が勝手につけた言葉である。前に精神的な
葛藤と書いたが事故後これを乗り越えるのに2年もかかってしまった。
最初の内は又、同じような事故を起こすのではないかという恐怖感があったが、これを
乗り越え以前と同じような気持ちに戻りバイクを楽しみはじめた頃からこれは起こった。
気分的に80キロ以上で飛ばせないそして追い越せない時期があり、どうにか克服して
100キロ以上で走れるようになった頃、心の中に事故時の状況を再現しようとする
自分がいる・・・・・・ミステリーのようで他人は信じないと思うが事実である。
高速道路追い越し車線走行中に100キロを超した辺りで、あの事故の時のハンドルの
振れを再現したくなり、危ないとは思いながらも少しハンドルを振らしてみる。
振れて蛇行した瞬間に、いけないとの気持ちが働き正常に戻る、これの繰り返しが
一日に数回は起こっていた。
危ない、駄目だと分かっているのに身体が勝手に動いてしまう、自分で制御出来ない
自分が精神的におかしいのかなどと考えることが多かったが今では完全に克服して
制御する気持ちが勝っている。
このような精神的な事を事故の経験者や精神科関係の人に一度聞いてみたいもの
である。